Naoto Kimura

2016.4.26

妻が死す時、最も絶望する瞬間なのかもしれない

こんな記事を読んだ。

「産後うつ」というまさにタイムリーというか、自分の家庭ではジャストのタイミングな話題。

子供が生まれてから色々考える事も多く、住む場所や間取り、環境に関してもとても考える様になった。

大体の人は子供が起点となって考えるのかもしれないが、こういったニュースを見て、もちろん家族を天秤にはかけられないのだが、もしを失うという事を想像した時に、果たして自分は生きていけるのだろうか?なんてネガティヴな事を考える事はある。

妻の存在

妻は本当に出来た人でして、同棲している時から3年くらい経とうとしていますが、何か思わせる様な事は1ミリもなく、常に支えてくれた人物です。

ちょっと様子が気になる瞬間は悪阻の時くらいしか記憶になく、その悪阻は大変なハードルだったんだろうと思っています。

普段から心から認めているという事があってこその感情もあり、そういった悪阻を垣間見て初めて子育てというところに向き合えた様な気がする。

今は無事子供も生まれ、今度はまた多大なる負担をかけているだろう事を思うといたたまれない感情がずっと存在している。

だからこそ何かができるのか?というとそうではなく、私自身は仕事に追われ、現実何かできるのか?というとそうではない。

ただ、環境は整え、何よりも血縁関係ではなく、婚姻関係であるとしても、他人とは微塵にも思わない事と、自分にとってかけがえのない人であるという気持ちだけは表面に出す事だけは心がけている。

彼女は気持ちに応え、新たに生まれた生きがいに向き合おうとしている。

大概の事は気持ちが大きく作用すると思っていて、国でいう課題としては育休だとか具体的な部分がクローズアップされているが、果たして実情何が足りないのか?というと…

「パートナーである”夫の気持ち”」

でしかないのではないだろうか?と思ってしまう。

だからこそ、とれない”時間”というものに対してのリカバリーをしっかりとした”気持ち”を持ち、心がける事だけは意識している。

私は妻の事が好きなのだ。

こういった精神的なもので失う事を想像すると、起きてしまった後で後悔などはしたくないと思う今日この頃。

また1つ考えさせてくれる様な記事でした。

家族を幸せにしたいよ。

Category : コラム