「10年経って。一緒に仕事をしないか」はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>10年前アシスタントを卒業した「矢萩」
てか、もう矢萩さんですね。
彼女は8年間程、自分のアシスタントとして従事してくれてました。
異常な長さとも言えますが、本当にそういう時代でなかなかスタイリストになる事は困難だった時代だったのです。
当時の自分はまさに忙しさのピークで、朝5時から夜中まで。寝る時間もほとんどなく仕事してて、それにずっと低賃金(自分に決める権限はない)で従事し続けてくれ、お客様誰からも嫌われる事なく、自分の仕事をサポートしてくれました。
正直に言えばとても不器用な人で、テクニカルな仕事ができにくかった為、ロジカルなサロンワークが生まれたというのも一つあります。
彼女はしんどすぎて毎日の様に泣いてましたし、そういう姿を見ているのも辛かった。
自分の仕事はそんな何年も続けなくても体得できる技術であり、8年という長い期間は、その他の人物でフィットする人がいなかっただけであり、単なる僕のわがままでしかありませんでした。
カリキュラムクリアすればいいだけなんですけどね。
練習しようって思う気がしなくなるくらいには実践投入されていたというところは付言しておきます。
そして、卒業してからの別れ。
ホント嬉しかったですね。
まぁ、本当に人に嫌われない人だと思っていたので、どこに行っても沢山のお客様に愛されるでしょうと。
まず、一つ思っていたのは…
「僕の事は大嫌いだっただろうなという事」
当たり前です。尋常じゃないくらいきつい。
やってる事自体がきついし、求められる所も高い。
それでもリソースは考えていた方ですが、身体的な部分で言えばまさに痺れる仕事していたと思うんです。
僕の人が良かろうが悪かろうが、苦しめている第一人者です。
恨みしかないだろうなと。
そして彼女は他のサロンで働く様になり、髪を切ってもらいました。
特にシャンプーには衝撃を受けました。
うますぎて。
airのシャンプーはとんでもないレベルなんだなというのは改めて思った所です。
まぁ、そっからも数年経ち、連絡を取ることもなかったのですが、ふと電話をしてみました。
「なあ、一緒に仕事をしないか」
と。
自分は京都にいて、東京にも店舗があり、東京で活躍して欲しかったのです。
普通ダメだろなって思ったのですが、その言葉は割とすんなりで…
「やっぱ木村さんかなっておもって」
そんな感じの言葉が返ってきました。
意外性も驚きも、色んな感情が襲ってきました。
信用度で言えば言える部分もなく、最も苦しい時にずっといてくれた人です。
普通にどんな事よりも嬉しかったですね。
今までにそんな言葉と行動を投げてくれた人はいたのだろうか。
自分が仕事やってきて、沢山のデザイン、お客様、もちろん大切なものは沢山あったが、何よりも嬉しい感情が込み上げてきて、やってて良かったなと思いました。
今後の部分でどうなるかなんてわかりません。
難しい時代です。
でも、こうして「信頼できる人」をコツコツと積み上げて、とても心が救われるスタッフが増えていっています。
「Instagramとかできないんすよねえー」
といきなり京都きて合宿してるのも、らしいなと。
途中でだらっとなって何故か渡月橋に行かされる…
まぁ、そんなのも過去も含め懐かしい。
今後もちろんどうなるか?などはわからない。
すぐに辞めたいと言うかもしれない。
ただ、僕はこの時感じた感情を文章に残しておきたいと思った。
「まぁ、やっぱ木村さんかなーと思って」
なんて事ない事なんだろうとおもうが、近年感じたことのないくらい嬉しい言葉だったのだ。
ましてや最悪の時代を共に過ごした仲間である。
思い返せば、今はそうやって「木村さんと」というフレーズで仕事をしてくださってる方が何人もいる。
本当に思い出すだけで涙が出るくらい嬉しい。
こういう事例をもってして「美容師をやっていて良かった」とおもう。
今後も続く人生にそう人に思ってもらえる仕事を。
今後も心がけていきたいとおもっています。
「10年経って。一緒に仕事をしないか」はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>ええ…もちろん…我々新参者ですからはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>工事の音うっせーーーーーー。
京都の街は日夜工事しまくりです。
寝てられないくらいうるさい事もしばしばです。
そんな真っ只中の河原町にヘアサロンを出して半年が経ちました。
ありがたい事に沢山のお客様が…
と言いたいところでしたが、まあまぁくらいだと思います。嘘つけないんでね。
もうちょいしたら少し潤うかなー?ってくらいでまさに時止め京都モードです。
まぁ、急いでません。
ただ、何せゼロベース(なんのノウハウもない)状態でうっかり出店なんてしちゃったもんだから、こりゃまた大変ですよ。
東京でやってたうんたらなど通用しない。
レベル1で竜王の城に挑むような気持ちです。
つまり一撃でやられます。
ってな時、何考えるか?となると「許しを乞う(頭を下げる)行動にてるんですね。
人、1人いらしてくださるだけでとんでもなく嬉しい。
あーーーーー。ほんとこれだよなぁと。
うれしーーーー!
裸一貫で出てきた京都に救世主はお客様しかいないわけですよ。
僕はその感謝から姿勢が変わり、腰低く、丁寧な挨拶、見送りから始めました。
東京の仲間でYouTuberの「大野」さんが一緒にサロンワークしてくれてて驚いていました。
「木村直人が1番誰よりも腰低い」と。
人間て不思議ですよね。
やらされてる感というか、マニュアルではない身体の動きをしていたら、「どういうサービスが喜ばれて、どの様にしたら喜んでもらえて、どの様にしたらまた行こうとなるのか」
そんな事を考え、実行していく。
東京時代とはまるで違うスタンス。
なぜこうなったのか?というと「勘」でしかないし、東京だと「一定の距離感」というのを大切にしていた(喋らないなど)が、京都では腰低く、距離を近づけ、親身に相談にのる。
なんでこんなに変わっちゃったんでしょうねぇ。
なんか独特の雰囲気と変化を感じています。
「カリスマ美容師やってまっしたぁ〜ぁぁぁはぁ」
なんて言っても全く通用せず、ゼロ。
ゼロゼロゼロ。
を体験し、また一つ階段登れている気がします。
てか、永久に終わりはないんだろうなぁというのも改めて。
んで、何が言いたいか?というと
ということです。
僕の大好きやホットペッパービューティーちゃん。
おーい!ホットペッパーのうちの店の担当者も通うぐらいだそー。
周りにいじめ抜かれた人のこの居心地説得力。
コツコツいくぜー。
コツコツコツコツ。
風鈴がチリンチリン鳴ってるのは私の拳気かもしれません。
また新たな美容師の在り方を問う土地になっていきそうです。
とりあえず…
東本願寺で甘茶かけてきます。
それでは。
いつもありがとうございます。
ええ…もちろん…我々新参者ですからはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>「木村さんは何故京都なのですか?」「あなたは何故東京なんですか?」はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>ジメジメですねぇ。。。
身体中が痒くなります。
てか、気付いたらブログ書くのもかなり久しぶりになってきていますね。
笑っちゃいますよね。10数年毎日書いていたんですよ。
ある時を境に書けなくなってからむしろ具合悪くなったのこれのせいかなくらいにまで思います。
文章を書くのはかなりリフレッシュにもなり、自分の脳トレの一つとしてもなっていました。
出店が続いて(東京 devoted 京都 LOVEST KYOTO)本気レベルで暇がなかったといえばそれまでなんですが、一昔前ならちょっと間が開けばブログ書いてましたからね。
さて、そんな僕。
京都におります。
この行動に驚いた人が多いようですが、簡単な話…
「驚くような人がいるから行くんだよ」と体験型ブロガーとしては言ってしまいたくなります。
昔…
「木村さんは変わっていますね」
と、数多くの方に言われました。
あまりに数多く言われるので最後にはそれを言われたら…
「あなたは普通ですね」と返してました。
嫌でしょ?w
そんなもんですよ。
人の質問って割と不躾な面があるというか、捻りがまるでないことが多い。
従って聞かれていることに意味がなければ、本人のやってる事にも大した意味はないので、大きな何かを成し遂げる事が少ないのだとおまう。
そんな「変わっている人」から言わせると、「それを人に言える人の方が変わってる」訳であって、現代では当たり前になってしまっているじゃないか…
普通でいいのか、君は…
美容師は変だから注目されるものなのだぞよ…
と(ホホホ 京笑)
そんな感覚にも。
今では「何故京都なのですか?」と問われることも多く、全く同じパターンですよね。
「あなたは何故東京なんですか?それって東京じゃなきゃできないの?」
と切り返される。
簡単な話「自分のキャパ外の事をやっている人を見ると”なんで?”ってなってしまうが、実際自分が取っている行動(思考停止で東京にいるパターン)に対しては勝手に普通と思い込んで、他が変わってる感覚を持っていると錯覚する。
そんな「拘り」がないんじゃないだろうか?なんで思うんですね。
事、美容師でいえば1番大事な事だと思いますね。
時が止まった街「京都」
寺社仏閣や観光地に注目が集まりやすい場所ですが、1番自分が感じていたのは…
「日本の動乱は全て京都から」
というのが大きいんですよね。
歴史上大抵の事が京都から起き、それが全国を揺るがす事態となっています。
首都は東京に移されましたが、そういう部分を加味しても、気持ちや気概を感じるには充分なパワーを秘めていますよね。
元々そういう歴史をたどり、感じたい自分は現代の「どこでも仕事ができる」という意味では違う可能性を探りに拠点を変更した。
そんな所でしょうか。
あくまで「住んでる場所」でしかなく、日本、世界でもどこでも住んでしまえば結局順応していくものなので、新たな歩を進めていきたいと思った限りです。
もちろん東京は大好き。1番長く住みましたからね。
夢にも溢れている。可能性もある。
ただ、業界的な部分で考えた時には「特にこれ以上のもの」を感じなかったんです。
雑誌、メディア、ショー、ランキング、表彰などなど?
美容師としての名誉を得られるチャンスは多々あり、巡り合えるきっかけも多い。
そして外にもとんでもない人達が沢山いる魅惑の都市。
と、思った時に「最早特にする事がない…」と思ってしまったんですよね。
満たされてしまっていた。
そんな期間が何年も続いて、さらにコロナショックが訪れた。
そして私はついに移住した。
ざっくり言うとこれ。
別に大した話じゃないのだが、「ここじゃなきゃ得られない新しいものを耕しに」と言う方が適切なんでしょうか。
常に動乱の中心地にいた京都。
和やかな雰囲気が風に沿って香ってくる美しい街ですが、何かが起きれば一気に変わってくるソリッドな面もあるであろう土地柄。
時を止め。
静寂の中、色んな事を問う作業も乙なものですよ。
とにかく何が言いたいか?
というと…
と、いうことです…
風流せい!風流せい!
全て忘れて風流せい!!
久しぶりに書いた記事がこんなんで残念だよ…
まぁ、こんなのが私。
またいづれ。
「木村さんは何故京都なのですか?」「あなたは何故東京なんですか?」はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>自分が何者だったのかを探す旅はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>なんて思ってたら、2店舗出店してたんですね。
(もう一軒は年末ですが)
休もうと思っていても、生活もあれば、別にゆとり持ってFIREできるわけでもなく、ただ、淡々と日にご飯を食べさせてもらい、子供の散歩とコンビニ。
どこか連れてこうってご時世でもなく、デスクワークして、関わってるサロンさんのストラテジーや経験を活かした相談にのりつつ、過ごしていました。
今日は土曜日ですが、現役時代は土曜日が1番忙しく、泡吹くくらいには土日の業務は激しいと感じていたものでしたが、こと、経営や机上の仕事になると、圧倒的に金曜日が忙しいです。
通常休み前にタスク整理するのが当たり前ともいえるのでそうなるのでしょう。
現役美容師やりながら経営やってる人は本当に尊敬します。
僕は経営陣ではありましたが、決裁権があるわけでなく、判断を全部こちらに持って来られることもなく、そういう意味では逃げ場もあり、比較的集中できる環境がありました。
これは独立云々でなく、「適材適所」というものもあり、向き不向きもあるかもしれません。
適正としてはあるかもしれやせんが、集中力を削がれたり、パフォーマンスとしては低下しています。
これがいいか悪いか、ここで更に成長を遂げられるのか?は自分次第ですが、これをやれている人が多くいると思うと本当に尊敬でしかありません。
店舗を出店するにあたって、人材を募集していましたが、1人遠いところからでも京都に来たいと申し出てくれるアシスタントがいました。
無茶苦茶嬉しかったです。
たった一つのエピソードですが、自分を否定し続けてきた人間としては、一つ肯定されたものの様な気がして涙しました。
自分と共に働いてくれるという事がこんなに嬉しいことなんていうのは、入っては辞め、入っては辞めを繰り返してふるい落としにかけて存続させてきた自分からは想像する事もできませんでした。
「自分ってどうだったんだろう?」
ふと、働いていた人間に聞いて見たくなって久しぶりにLINEしてみました。
これはアピールとかっていうよりは…
「木村直人ってどんな人間だったんだろう」
と聞いて見たくなったからです。
縁のあった子たちが様々な言葉で僕を表現してくれました。
若い子から大人まで。
お客様に髪を提供するという使命感を共にしてきた仲間たちはどういう気持ちで共にやってくれていたのだろう?
そんな気持ちや不安。
また今後共にするであろう人を幸せにできるのだろうか?
そんな感情から言葉をもらった。
まぁ、普通に泣きましたよね。
23年もキャリアがあって、聞いたことなんてなかったよ。
採用する時は大きく出てってどんどん集める事にばかり執着していたのにね。
1人の人間が「木村さんと働きたいから京都行く」といってくれた事で「木村直人とは一体何なのだろう」と考えさせてくれました。
また一段登り、より良き感想と感情を引き出せる自分になりたい。
改めてそう強く願うのでありました。
(なれるんかな?w)
自分が何者だったのかを探す旅はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>木村さんと働きたいはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>京都に移住するにあたって、人材募集などをしています。
沢山とは言い切れませんが、アカウントには164名もの登録があり、面接に至った方はほぼ採用決めています。
「いい人なのかどうか?」
という選択権は僕にはなく、来たものに対して価値を提供する気概でやっています。
美容師の仕事も流行り廃りがあり、自分はとうに旬を過ぎた人間だと思っています。
ただ、嬉しい事は冒頭にある様に、かつて働いてきた者が「戻ってきたい。木村さんと仕事がしたい」
と言ってきてくれた事です。
僕は自己否定する事で自分を保ち、成長を促してきたタイプです。
これは古風とも言えますが、その当時から考えるとそれが普通というか、自分を高めるために自分を否定してきました。
自分の身近にいる者はそういうものを目の当たりにし、辛い思いをしてきた事もあると思ってます。
が、しかし、それでもというところは少なからず伝わっているんだなぁと改めて感じさせてくれる場面があり、そういうふうにやらなければ知ることもできなかったよ…
と、思わされることもしばしばありました。
「生まれ変わる」
というのは簡単かもしれませんが、僕はそのように本来表現したかったものを全力で与えられる人間になりたい。
今はそう思うのです。
かつてアシスタントだった人間からの気持ちを感じるメッセージ。
とても嬉しかった。
ありがとう。
前に進んで行きたいと思っています。
木村さんと働きたいはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>縦軸から横軸へ。未来を作る。はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>おはようございます。
リアルタイムでは朝4:30でございます。
辺りが真っ暗な中書いています。
近況で言いますと、昨年末で一旦箸休めというか、23年続けてきた美容師を一旦休む事にしました。
理由は「体調不良」
全部の事が受け止めきれなくなっていたんですよね。
Twitterでは言ってましたが、近年、インターネット(SNS)が活発化してきた事から、就労時間だけでなく様々な仕事をいただいたりして、性格上「後回しにする」という事ができない性格でして、何かあれば消化するという事、24hの中でどんな時でも対応に動いてしまい、タスクを消化するという事が自分のルーティンになっていました。
そうなってくるともはやプライベートの時間というのの先が読めず、いつ何時でも対応するキャパシティは自分が思ってたよりも狭く、感情的になる事もあったり、また穏やかになりきれない自分がいて激しく葛藤していた時期もありました。
そんな中、コロナショックも絡まって悲観的に見ることも多くなり、現場役員として、そしてプロとして実際のサロンで出しているつもりもないものの、自分の中での仕事クオリティが低いのではないか?
そんな疑問を持ってしまったらもう歯止めが効かず、家族にも会社にも沢山迷惑をかけるような状態になってしまいました。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そういう意味で本来のパフォーマンスを呼び起こす為にも副社長、社長にも相談し…
「一旦休む」
という判断をしました。
「美容師はこうだから」という概念が自分を勝手に苦しませ、ありがたい事でしたが、自分のキャパシティをオーバーする仕事をし、自覚ないままクオリティを落としてしまった。
その感覚に関しては外に出さないだけになかなか理解されない所もあろうかと思いますが、副社長、社長の理解は深く大変感謝しています。
幸い、色んな方に助けられました。
北原さんとの対談記事
https://tokinoheya.com/kimurainterview/?fbclid=IwAR14G0hkdrFjfGYevlJ6AnnnmwPcTtJVsmtohZ_Ru6qH5HmTHyDCQ_6A_rk自分の中では現場でというのは数年前で目標値は達成していて…
「今後どういう人生を歩んで行くべきなのだろうか?」
そんな感じに思っているからこそ、もはやよろしくないという意識の中、今年一年を過ごし、ほぼ外に出ることもなく、淡々と裏方仕事に勤しみつつ、世間と同様に不穏な空気、不安…様々なものを見たり感じたりしながら過ごしていました。
そう妻に言った時に「なぜ?」という言葉は出てきませんでした。
ずっと見ていたこともあるでしょうが、それくらい疲弊していた様も間近で見ていたからだと思います。
「好きな事をやる。けどそれはとても難しい」
そういう事も僕を通じて体感していたのかもしれませんね。
色んな事をクリアにするのに大変時間を要してしまいました。
モアリジョブで語っていた事
https://relax-job.com/more/45408?fbclid=IwAR0yQe61QX0o4hN5Lo9y4tnXpHWdWdjaDK5xVeautN0qRQ50QOj3hj_M2p4リクエストQJで語っていた事
https://www.qjnavi.jp/special/life_careerplan/kimuranaoto_-notindependent/?fbclid=IwAR31jljE08yaVap5ArlBUAOjNNRF9wvxLre1Y45O4ja3-Ygu9MALqgCEi_sコツコツと2年くらいかけて、その間には病床にいる事もありましたし、それでもそういった「仕事脳」みたいなものはとれず、苦しんだりする事もありましたが…
一つ立ち直らせてくれるきっかけは…
小さいながらも仲間ができ、出店を出来たこと。
「ああ。こうなってても支えてくれる人がいるんだな」
そう思えた強さはとてつもなく大きかったです。
この出店にも感謝。
パフォーマンスの高いスタッフ達を見ながらそれでも「いや、木村さんの発信で自分を見つめ直す事ができた」という方も少なからずいた事。
こういうのがかけがえのない財産でもあるし、そういう人達と共に、また「air」という自分を作り上げてくれたもののオマージュ、感謝、色んなものが絡まって…
「京都でやろう。LOVEST kyotoを作ろう」
そんな感じに思いました。
「LOVEST」というブランドはairの双璧ブランドです。
元々、そういったスタッフ達がLOVESTブランドを掲げて展開していけたらいいよね。
そんな話も出ていました。
そういう形でやらせて欲しい。
そういう想いを伝えて了解を得ました。
前の記述に戻りますが…
「好きな事をやる。ただそれは難しい」
果たしてそうなのでしょうか?
今日、世の中の流れは大きく変わり、自分の世代ではもどかしかったものも、表現を理解されるかなり柔軟な思考になってきていると思います。
僕自身、現場では一定の目標を達成していたものの、それがなかなか難しい、もっと楽しくしたい、自分の時間が欲しい、自己表現を広げたい…
そんな想いを実現させる事が難しくない。
そういう部分を後押しできる自分になりたい。
そんな風に思い、出店する事を決意しました。
自分の人生は誰のものでもない、貴方だけのもの。
小さいながらもそんな事が表現できるヘアサロン。
そして自分が積んできたキャリアを精一杯吐き出せるサロン。
そういう場所を作りたいな。と…
まだまだ未熟で形も決まりきってないですが、驕らず、常に謙虚にとにかく髪を綺麗にする、創る。
新しい事にはどんどん挑戦する。
理解を表現する、応援する。
そんなのができたらな。と青臭い事を考えています。
幸いちょっとした触れ込みだけでも共感を得て何人もの方が応募、応援してくださり、軸となる信頼できる人物も見つけられていますが、そういう中でも更に…
「おお。作ってみたいな。京都から日本、世界にこの感覚を届けてみたいな」
と思う方は是非共に仕事しましょう。
今後の仲間募集に関してはこちらでご報告致します。
良かったら登録しといてください。
こんなキャリア。
イケイケでもオラオラでもない。欲もない。
一通りやりきったと思える感性で作れるものは何か?
縦関係から横関係に。シェイクハンドで仕事をする。
そんな事を再び想像する今日。
とにかく楽しい仕事創造、各々が輝ける未来を。
またちょいちょい書いていきます。
縦軸から横軸へ。未来を作る。はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>「THE SALONS」で出店してみた話。はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>おっと、これは長男でした。
おっと、おっと。
さて…
パートナーとしてお仕事を共にしている「田中」が…
田中亜彌のブログ
https://ami-tanaka.com/blog/2021-06-09/?fbclid=IwAR2aL9KCHRrGPge_HXpqHbkeZ7wvNF6ZsLpqliUYtPuBDI4M1GrCMiBzXH8こんな記事を。
嬉しいー!
充実感を感じる内容でしたね。
そうです。6/1にオープンさせていただきました。
セット面わずか3席というミニマムな感じですが結構過ごしやすいです。
変わった店内ですよね。
基本的に什器を安定させず、常に模様替えができる仕様になっています。
後、今のご時世というのもありますが、ある程度人の視線が気にならないとか、色んな事を含めて提案したら割と斬新で受け入れられた様です。(ホッ…)
まぁ、このサロンについてはまた別途語るとして、今回はこの「THE SALONS」って何やねんという話。
(大体はこちらに)
相当ざっくり言うと「小さいヘアサロンの集合体」
僕は縁日の屋台みたいな錯覚もあった感じですね。
いわゆるモール型と呼ばれる形で、大きな場所にいくつものヘアサロンが入っていて、青山店の1Fには9区画、9つのヘアサロンが混在しています。
お手洗いや休むスペースは共用にし、ヘアスタイルを手がけるスペースは独立した空間に。
それぞれ好きにカスタマイズできるというかなり新しい形と言いますか、ちょっとこういうの出てきちゃったらなぁ。っていうのは大型店に長く所属していた自分からすると思うところでもあります。
第三極と言いますか、「既存スタイルのヘアサロン(アシスタントも存在する教育型サロンなど)」「シェアサロン(フリーランス、マンツーマンなど)」そして「モール型(ちょい小さめだけど独立した空間を自分でコーディネートできる)」
という様に、ヘアサロンの在り方も発展してきてます。
私は割と新しいもの好きではありますが、それプラス大きなメリットも感じる事があり、ここに申し込んでみました。
大きなメリットとは…
「とにかくリスク低い」
という事です。
元々、小さい部分と多額の出資が必要なく、数百万レベルからトライでき、なおかつ家賃やその他固定費などがセットされており、法人としても契約できる。
それぞれの店子で保健所の営業許可取るっていう。(色んな面で実績も積める)
定借じゃないので更新も、また出るのも容易であり、そもそもこういうところでワンクッション置いて大きいサロンを出店させるみたいな大志でやられているのでそういう気楽さもかなり大きい。
私の場合、そもそもairの子会社を経営しており、そういった部分で独立遊撃隊的なアクションをしていた事から、今回の案件に関しても面白みと「こういうのをきちんと知ってみたいな」と。
やってみないとわからないですからねぇ。
なんか契約して、店の枠組みができちゃうとすぐポーンと渡されてどうしていいのかわからない状態になったりもありましたw
(おおw こんなのでいいのか!みたいな)
んでも大型サロンを毎年の様に出店してきてた自分らからすると、「こんなカジュアルに作れちゃうんだ…」と驚く事が多かったです。
費用は…
僕の所は変に半端なスタンスで作らないので、一番お金はかかったんじゃないかなぁ?とは思うのですが、DIYでやられてた方も相当いたので、ほとんどかかってない方もいると思うんですよね。
本当に…
「恐れなく挑戦しやすい」
こういう表現がぴったりかなぁ?と。
まぁ、詳しくはsalon’sのホームページにて。
という所ですが、体調崩していた自分でもあまり苦もなく進められたという所や、普通に色んな区画の方、仕事やって夜準備して〜みたいな方がほとんどだったので、それくらい簡単に。
大体6日かな?準備期間は。
そんな感じでしたね。
元々、お客様支持が高い人はなんて事はなく初月から黒字でしょうし、しっかりそこで資金作って次の展開っていうのを見据えてる方も多いのではないでしょうか?
たまたま私は仲間に恵まれていたので大いに助けられていますが、やはりこうやってできたものを見ていると「みんなともっと先を見てみたい」と思ったりもするものです。
僕が今のメンバーと最初交わした話って…
「信用を築く期間」ですねこれは。
という話をしていました。
仕事した事がないもの同士でやっているわけですから、そういう角度の使い方もできるわけです。
この形の発展は面白いと思いましたし、今の時代にも合っているのでしょうね。
今のところ東京向けかなぁと思いますが、徐々に地方へもそういう流れがくるのでしょうね。
どんどん拡大させていく方向の様です。
何にせよ私は新しいものが好きであり、こうやって「仕組み」がどんどん変わっていくのを体感し、進んでいく事が楽しい。
結局僕らはいい髪が作れればいいだけですからね。
ますます発展する美容師の在り方に期待しながら、私も成長していきたいものです。
「THE SALONS」で出店してみた話。はnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>世の中めちゃくちゃ凄い人が多いように感じるが、たった一つ歩みを進めるのが大変だし、意外とそれが心地いいはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>またしばらく空いてしまいましたね。
先日血液検査しまして…
うおおおおお…まじかよ…
肝臓の値が限りなく透明に近いブルーになっています。
うおおお…
僕は特に隠す事をしないタイプなので、一部クラブハウスやら限定的コミュニティの方々は周知な事ですが、かなりの期間で鬱というか、アップダウンが激しい状態の期間を過ごし、暴飲暴食、また期間が過ぎれば全く食べないなどで17kg痩せたりなど、2年くらいはかなり苦しみました。
それでもやはりプロなので、お客さんに出すわけにも、管理職でもあって、コロナ禍などの対応等も含めスタッフにも出すわけにもいかず、人前に出る時にはドーピングして必死に過ごしていました。
一先ず責任果たすまでは…
最後の方はもうそれが合言葉みたいになっていて、なんかどうでもいい使命感みたいなものに囚われていた部分もあったと思いますし、逆に迷惑かけていた所もまた然りで、なんか…頑張らなくていいのに頑張っちゃったりとか、おかしな所も…というか、おかしな所があるからそうなったんでしょうが、なんだかよくわからない事もありましたね。
朝起きたてでいきなり吐いたり、仕事終わると緊張感切れたかの様にせん妄状態になってたり、ひどい時はオムツしてなきゃならない時とか、オンオフの差が激しく、仕事をしてる部分だけ見てる人からしたら俄かに信じがたいと思う様な感じもありましたし、仕事の場面では「はい!スタート!」ってなったらバリバリに喋り倒したり、はい!プレゼン!ほりゃほりゃ!撮影だ!うんたら!と外であった人は近しい人でもほぼ誰もわからないくらいには普通にサクサクやってたと思いますが、ドアをカチャリと閉めたらいきなり「ゲーッ!」とか、ドラマかよ的な状況を妻はずっと受け止めて支えてくれていたり、子供もそういう模様を見て悲しい顔をしていたりと、それも更に申し訳なさが加速して状況を悪くしていったかもしれません。
全て自分が悪い。
自己肯定が一つもできなくなって、生きるのすら辛いと思うことも増えていました。
昨年末で一旦現場離れて休養してて、それでも結構仕事はしてたのですが、1.2月は入院して、3.4月くらいにはギブアップ級に症状悪化して、磔の刑ばりにベットに縛り付けて寝込んでいました。
断酒、断薬とにかく全ての部分を断ち切り、何週間か経つと自然と起き上がり、ナチュラルに身体を動かそうという気持ちになりました。
何故だろう。全然わからないのですが、それくらいまで極めてソリッドな感覚になっていたはずなのですが、自然と柔らかい気持ちになり、起き上がる事が出来る様に。
不思議ですよね。
外とか動くのとかとことん嫌いな自分ですが、歩こうという気持ちになるとか。
ここ2年くらいは子供とのコミニュケーションもほぼ取れておらず、妻に任せきりだった事もあり、子供たちと散歩する事から始めました。
お恥ずかしながら、次男に関しては生まれてからほとんど父親らしい事もしてやれず、肩車とかしたのも3歳になってから初めてで、それまで発達が遅れて言葉を覚えるのも遅くて心配していたものでしたが、一緒に朝から散歩する様になり、少しずつ丁寧に社会活動を教え、短いながらも共に過ごす時間を増やす事で一気に成長を見せ、逆に話しかけられすぎて困るほどです。
こういう状況で振り返ってみて一つ思ったのは…
「安心感がこうした」
というのもあって、仕事場でも管理職とはいえまだ後ろには先輩方もいて、家庭では妻もいる。
僕には全然頼れる人がいたんですよね。
そう思ってもなんとなく、走り続ける事が通常になってしまっていて、意思に反してブレーキをかけられないとかって部分もあってどんどん身体にきてしまったんだろうなと。
あと、究極の甘えだと思いますね。身体にきてて、まぁ、もういなくなっても死んでも大丈夫だろうとか、投げやりな考え方になっていたと思います。
単にやってたつもりが仕事の上司と妻に甘えていただけだったという…
なんとも残念な話でしかない。
「なぜ改善の兆しが見えたのか」
そういう背景も踏まえて、改善が見られた理由は…
「ヘアサロンをプロデュースする」というプロジェクトがあって、この案件がコロナなどもあり伸びていたのですが、年明けにいきなり進み出した事もかなり大きかったと思います。
進み出したらいきなり加速しだして、飛び起こされて、それでも浦島太郎状態だった僕の代わりはは秘書がほぼ変わって進めてくれ、半ば強制的に余計な事を考える事が出来なくなり、後もない状態になるから…
「とにかく戻ってきて欲しい。健康になりたい」
と思うように。
「どうでもいい」からそういう感覚に。
色んな依存から断ち切ってからは本当に改善が早かったです。
まだまだ波があるのでなんとも言えないですが、一先ず文章書けるくらいには落ち着いていますね。ありがたや。
まぁ、本当にコロナもあって病気以外の所で苦しんだ方も多かったのではないだろうか?と心痛めていますが、そういう意味でもこういったありのままのエピソードが一つの踏み台になったりしたらいいなぁなんて思いながら書いています。
発信なども控えながら、ずっと人の背中押す作業を数年やっていて、寝てる間には情報はかなりの量、見続けてきました。
どういう手合いか、世界的危機的状況の時に目立ったのは猛烈な発信を繰り返す人が増え、あたかもものすごい事をやっている様に見える記述を目にする回数が増えた事。
なんか読んでいたら羨望というよりは劣等感に苛まれた時期もあったりして…
「ああ…世の中ホントすごい人多いんだなぁ」
と思いながら眺めていた。
と、同時に自覚ないながらもずっと同じように担いでもらっていた自分もフラッシュバックしてきていて…
「きっとそういう風に思われていたんだろうなぁ。」
と思ったり。
また、同じような気持ちに苛まれている美容師さんの相談を受ける事も多く…
「そのままでいいんですよ」
と声をかけながら、そのまま自分に当て込んでいた。
何かしなくてはいけないんじゃないのか?という気持ちにさせられ、自分の立場も含めて「やらなきゃ…」と思うのだけども、結局自分て何がしたかったのか?と思うと…
「なんでもない様な事が幸せだったと思うゆ〜」
くらいでしかなかったんですよねw
本当にしょぼいものです。
なぜかカリスマみたいに言われて、それが目的だったわけではなく、楽しく、新しい事を作り出したり、チャレンジする事が本当に生きがいだったのに、いつしかそういうのも取り組めなくなるくらいには弱くて。
んでもまた一個一個、小さいながらにクリエイティブに。
自分のペースで楽しみながらプロダクトを作り、飛び抜けた事をやっていなくても小さく拳握ってうなづけている自分がいる。
なんかそんな小さな事が意外と心地よかったりして、ふわっと自分を取り戻せそうになっています。
「美容師界に多大なる貢献をしましたね」
「間違いなく美容師がここまでネットを駆使出来る様になったのは木村さんの影響が大きい」
嬉しかった言葉はいつしか自分を苦しめる言葉になっていて、結局…
「何者になりたかったのか?」
「いや、別に何者にもなりたくないよ。楽しくものづくりをしたいだけ」
という答え合わせをしていただけだった。
僕はホントそんな程度の人間ですが、こういう事をきちんと書き、読んだ人がこのコロナ禍の中でも「ほんの少しだけ肩の力を緩める」きっかけになってくれたら嬉しく思ったりする。
まぁ、大体は美容師さんにですね。
割とみんな無理しすぎにも見えるし、結構しんどい人多いんじゃないかなぁ?と思う。
正直、僕は凄い人でもなんでもないし、みんなこんなもんなんだろうなとも思う。
僕が最近1番大変で1番達成感を感じたのは、お店のカラー棚にドリルで穴開けて、ネジが繋がった時でした。
田中亜彌《原宿・表参道美容師タナカアミ》 on Twitter: “木村さん@air_kimura が電動ドリル持ってるのレアすぎる、、棚制作は男性陣がやってくれてます@michihiro1011 pic.twitter.com/Mg5nMCNIQk / Twitter”
木村さん@air_kimura が電動ドリル持ってるのレアすぎる、、棚制作は男性陣がやってくれてます@michihiro1011 pic.twitter.com/Mg5nMCNIQk
あなたが最近達成感を感じた事はなんでしたか?
小さな一つを積み上げ、少し前に進める楽しさをもう一度噛み締めに行きたいなと感じている今日この頃です。
(6/1 にプロデュースしているヘアサロンがオープンします。ちなみに僕はサロン出てません。悪しからず…汗 店名の由来は2人が勝手に語ってくれるだろうと思ってます)
(代表の大野と田中。素晴らしき技術者なのでair共々よろしくお願いします。)
(今日、こんな事を書こうと思ったきっかけの記事。かなり共感しました。今後はこうなるだろうなって自分も思ってます)
ではまた。
次はあまり空かないで何か書ける様に自己管理したいですねぇ。ポワポワ。
世の中めちゃくちゃ凄い人が多いように感じるが、たった一つ歩みを進めるのが大変だし、意外とそれが心地いいはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>美容室経営のお悩みを聞いていたりしますはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>こんにちわ。木村です。
あ!これは息子でした。
半分だけ肖像を載せておきます。
自分の肖像を出すのはかなり久しぶりですね。
だいぶ回復しています。
体重はかなり痩せた頃から元の体重に近くなりましたね。
太れてよかったです。
さて、最近はムリしない様にしながら、色んな所の手伝いなど。
相談される事も増えて、感覚が戻ってきました。
自分は無料の美容師限定オンラインサロンも一応やってる様なやってない様な感じですが、美容師さんだけ2600名ほどいまして、色々情報交換しています(美容師じゃなさそうな方は承認してません)。
その中で、今後自分がどんなことできるかなーー?って話で「コンサルしてほしい」という方が数名いまして、熱意あるDMいただいた人だけ色々お話聞いたりしてます。
んで、そこでざっくり記事に。
全体的なコメントなので役にも立つかなーーと思い、こちらにも残しておきます。
気が向いたらお読みください。
また引き続き、ぼちぼちいきまーす。
「悩みはどんなこと?」
おはようございます。
自分は有料のオンラインサロン(ステルスでやってる押忍!木村組)は1番重きをおいてますが、こないだこちらで投稿した内容で興味を持ち、熱意を感じたいくつかのサロンオーナーさんからメッセージをいただき、相談も受け付けていて(契約意思がある方のみ)結構重複項目もあったので一部思う事を。
全体目線で書いているので個別のサロンさんについてどうこうっていう内容ではないので悪しからず。
相談を受けているサロンさんのはもっとサービスプランなどまで提案している感じですね。
参考になれば。くらいで。
・会計、決済について(キャッシュレスはどうか?)
☆早く完全キャッシュレス化にしたい。現金メリットはほぼなし。
・レセプションの仕事に可能性はあるか?(幅など)
☆削る。自動化一択。(作業効率とホスピタリティは人力に勝る項目。ここを人力が良いと思うタイプは人に依存している体質が強め。本質的に明らかに待たずにスムーズ、クリーン、費用対効果◎、接客自体は施術中で充分)
・インボイスどうか?業務委託と正社員は?
☆てか、財務のスタッフリテラシーを高めた方がよい。
スタッフと経営側でメリットデメリットを話し合って取り決めればさほど大きな問題にならないというか、そもそも納税は義務なので割り切りながら自由に仕事するか?正社員で所得落として補償をとるか?の2択しかない。
傾向としては個人事業が増える傾向であり、納税しても儲かるくらいには仕事しろよ!笑笑というのはストレートに伝えていきたい。節税節税言ってるのもちょっと変な感覚を覚えるし!別に教育としてはよいと思わない。
・教育の悩み (どう育てる?)
☆色んなサロンで仕事してきましたが、基本中途採用がいるサロンで、一本化した技術カリキュラムはほぼ不可能です。
まとまらない。教育が云々でやるなら全員生え抜き。よその血を入れないくらいのメンタルじゃないと厳しい。
今はデジタルがあるので、実は「教育」という事すら自社でやる必要もなく、アウトソーシングでもいいし、割とフランクでも集客自体に問題はない。
技術よりもZ世代の接客マナーや距離、言葉遣い、ステータスリテラシー(VIPとこわからない。カードの種類も知らない)などの方がよほど問題w 人類皆兄弟みたいなやつか、俺天才!日本一!みたいな自己肯定感が強い世代の中心地にきてるのでその辺の扱いを注意。
謝らない、お礼を言えない率激高になってきてるので、その辺も極めて危険(クレームが増加する)
・お客さんが増えません。
☆(見せてもらったところだけですが) いい意味でオシャレすぎる。土地にあってない(池袋など)基本的には「ちょいダサい」方が店は流行ります。
皆別に背伸びをしたくないからです。行きやすいところに行く。
てか、街の景色に合わないオシャレすぎる外観のサロンなら路面店にはしない。2階でも3階でも「ここに行く」が前提となって家を出るので、通りがかりに行くなら「ダサめ」の方が圧倒的に予約なしで入りやすい。
儲けにいくなら街の景色見て外観考える。ダサくする。
逆に青山、原宿なら飛び抜けてオシャレにする。
あと、渋谷は最近キテますね。そういうゾーンに。
狙い目は代官山。(住民の質はハイパー高い。長く住んでるからこそ感じる事)
・お客さんが増えません。その2
☆コンセプトが明確でないサロンが多く、ターゲットが全くわからない事が多い。
今っぽいドライフラワー系とかの装飾が多い所は年齢層が全く見えないし、女性の何歳世代なのか?また、男性は極めて入りにくくなるが、そういう所こそ「男性も取りたい」と言ってきたりもする。
今の時代の旬はペルソナの絞り込み(特化)でもあるので、自分の意にそぐわない層は集客しないくらいのスタンスで振り切る方が吉。(てか、髪質改善特化やカラー特化、トリートメント特化、メンズサロンなどは一定の効果が出ているはず)
数年前から言っていた様に「この項目はここ、カットはここ。」みたいな項目分け来店が増えている。
そこを気にしない目線でいくなら店内はどの層にも一定の評価が得られるシンプルな内装となる。
てか、これ系色々ありすぎて文字にするのはかなりしんどいのでやっぱ最近は「声」がいいですねぇ。
とりあえず一部ですが。
参考になれば。
体調戻ったらコンサル枠も少し考えようかなと。
今日も頑張っていきましょうー!
美容室経営のお悩みを聞いていたりしますはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>“伸びている後輩”にたった一つアドバイスしたことはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>朝5時半でございます。
コロナウイルスはなかなか緩めてくれない一方で、好天が続いていますね。
さて、こないだかなり久しぶりにサロン現場に。
色々ヒアリングしていると、問い合わせ等で「マスクの着用の仕方、感染症対策の対応の仕方」などの質問が増してきているということを聞き、身が締まる思いでした。
が、もともとダブルマスカーな自分というか、ほぼ武漢からコロナが出てき始めからスタッフに手洗い、マスクの着用を徹底させていたのでかなり早い段階からそういった意識は高かった店だと思います。
基本的にまず「お客さんにうつしてはいけない」
この気持ちから入るよう徹底してきていて、当時の銀座は多国籍な方々で賑わっていたエリアでしたから、尚更そういう意識付けが大事だなと思ってました。
美容室でもそういった衛生意識が高まった事に関しては良材料とも捉えられ、美容師の価値をあげていくという意味では良い部分もあったのではないでしょうか?
さて、本題に。
ちょこちょこ様子を見に行く事はあっても、自分が商用的な作業でハサミを振るう事がなく、ほぼリサーチやかつて指名してくださってて、未だ後輩たちに髪を委ねてくださってるお客様と話したり。
ここ2年くらいは穏やかに予約制限をかけていたので、急激に数字が転落するって事はないだろうと踏んでいたものの、自分が休んで傾くような感じになっちゃったりしたら…
なーんて、心配を払拭する様に…
誰かがいなくなれば誰かが出てくるものですね。
急激に伸びた後輩もいて、ちょっと恥ずかしくなっちゃいましたね。
「俺じゃん。俺が単なる承認欲求モンスターじゃん。」
と。
寂しくもあり、また「嬉しくも」
まぁ、そういうのもあり正直ホッとしています。
ありがたいですね。
まぁ、行けば挨拶もしてくれるわけなんですが、チラッと話すタイミングもあり。
「正直、イチイチなんか言ってくる先輩はだりーだろな」
と、心の中では思いつつ。
まぁ、自分を慕ってくれて上京してきてくれたという様な子だったので、うざくないレベルに一言。
「壁を。壁を越えきるにはもう一段謙虚に。」
それだけ。
これは調子にのんじゃねーぞ!的な抑えつけではなく、かなり遠回りしてきた自分だったのでわかる一つの答えでもある。
伸び盛りの子に自制を促すほど愚かな行動もしたくはないが、伸びているからこそ、ここで自分の人格も伸ばしていく作業をする事は教えておきたかったのです。
多分、言われている意味もわかってくれていると思っていますし、長く説教じみた物言いは正直もうごめんだろうし。
ほんと一言だけw
んー。あとね。
あー、めんどくさかった。めんどくさかった!w
スタッフと喋んのめんどくさいんですよ。
なのでほぼ喋らないですね。
てか、もう何言ってもダルいだろうなぁ的な年齢になってしまいました。
しみじみと老害化していく自分に抗う挑戦をしながら。
「木村さん。俺こんなやれる様になりました!」
と沢山の報告が聞けることを願って。
(後輩との会話。謙虚について)
(何年も前に退社した子。その後のサロンで大活躍なさっているそうだ。そういうのを聞けるのも嬉しい)
“伸びている後輩”にたった一つアドバイスしたことはnaoto kimuraで公開された投稿です。
]]>