Naoto Kimura

2015.9.12

悪りぃけど自分で考えな。なんでもやってみる事。って話

こういう質問メッセージがよくくるんですよ。

正直言って迷惑です。

何度もこういうのはきっぱり言ってきてるのですが、一向に止む気配はありません。

「教える程優れていない」

まず、一つ言っておきたいのが自分に対してこういう認識です。

教えるって行為は「責任が伴う」と思うんですよ。

記事化しているものは一方通行、投げっぱなしで感想を書いてるに過ぎないですし、教えているという自覚はありません。

予算をかけてコンサルタントとかに相談するのがベストでしょう。

自分の場合は…

木村直人とエザキヨシタカのマルチバースサロン – Synapse(シナプス)

http://synapse.am/contents/monthly/multiverse

では普通にお答えしています。

当然です。

「お金を頂き、答え、そこに対して責任を持つ」

そういうつもりで成されているわけですから。

知らない人に個別で普通にお答えするのは自分自身が無責任に思ってしまいます。

なぜ独立なさったのか…

自分はそういう自分の力量を常に図り決めています。

僕はそういった責任がまだ持ちきれない。そして、そこに対してのパフォーマンスを考えた上での判断をしています。

自分的にもまだまだ未熟です。

ネット関連においてパフォーマンスを発揮できているのは、「組織」という中にいるからです。

その他の事を別のスタッフが担ってくれているからこそ成せる技です。

「知らない人に普通に聞く」

という行為はスタッフに対しても背信的なものを感じてしまいます。

それを参考に物事を決定してしまうのは引っ張る力を感じられず逆効果な気がします。

まずはリスク取りながらなんでも調べてみる。やってみるという行動力が求められると思います。

そう。まずはやってみる。

「気軽に質問する文化」というのは一見よい文化に感じますが、全くもってよいとは考えられないんですよね。

例えば…「技術」ですが…

結局の所、聞いた所で自分がやる。変わらなきゃ上達なんて見込めないワケで、そういったトレーニングを行って習得しているものだと思います。

そういった「知識」に関しても質問して「聞いた所で変わる事はありません。」

結局の所「動くのみ」の話です。

そこには「時間的負担、労力、疲労…」様々な要素がある中、「やる」という事が力となり発揮されるものだと思っています。

だからこそ、断固こういった行為にはそういった対応をしているワケです。

本質的に「優しいと冷たい」とは?

ネットで気軽になんでも聞けて情報を得られるこの時代。

承認欲求を満たす装置としては最適ですし、そういった思考があればファン化させるツールとしてはとても良いものです。

ですが、そういった応対を気軽に行うことで結果、「タメになっているとは限らない。むしろ思考停止させてよくない方向に向かわせる事ともなる」そういう風に思うんですよね。

もっと業界文化発展を臨むならそういった本質的な部分に迫っていかなければ先はないのでは?と考えざるをえません。

こういう記事もそういった意味で書いています。

とにかくやる。まずは自分で模索し、リスクをとる

そういう思考が大切なのではないでしょうか?

僕が仮に独立していたらまず気軽に質問はしません。

そういった姿をスタッフに見られたくないからです。

見せるのであれば「どんな労力を払ってもまずやる。やり続ける。結果にする」そういった姿勢を見せねば付いてきてはくれないだろうと考えるからです。

そして徐々にそういった仲間を増やし、多様化していき、そういった色んな見解の中から答えを探す。

僕の理想はそういう所にありますし、現在行っている事。

冷たく聞こえるかもですが、こういった部分での業界の将来を憂いているものの1人として書いています。

より本質的に前に進める様になりたいと願うばかりです。

そういった意見が一つのアドバイスとして受け取っていただけると幸いだなぁ。と…

今日も頑張ります。

Category : コラム