Naoto Kimura

2023.3.21

「10年経って。一緒に仕事をしないか」

なんだか、突拍子もないタイトルなのですが、なんとなく残しておきたくなってしまって。

10年前アシスタントを卒業した「矢萩」

てか、もう矢萩さんですね。

彼女は8年間程、自分のアシスタントとして従事してくれてました。

異常な長さとも言えますが、本当にそういう時代でなかなかスタイリストになる事は困難だった時代だったのです。

当時の自分はまさに忙しさのピークで、朝5時から夜中まで。寝る時間もほとんどなく仕事してて、それにずっと低賃金(自分に決める権限はない)で従事し続けてくれ、お客様誰からも嫌われる事なく、自分の仕事をサポートしてくれました。

正直に言えばとても不器用な人で、テクニカルな仕事ができにくかった為、ロジカルなサロンワークが生まれたというのも一つあります。

彼女はしんどすぎて毎日の様に泣いてましたし、そういう姿を見ているのも辛かった。

自分の仕事はそんな何年も続けなくても体得できる技術であり、8年という長い期間は、その他の人物でフィットする人がいなかっただけであり、単なる僕のわがままでしかありませんでした。

カリキュラムクリアすればいいだけなんですけどね。

練習しようって思う気がしなくなるくらいには実践投入されていたというところは付言しておきます。

そして、卒業してからの別れ。

ホント嬉しかったですね。

まぁ、本当に人に嫌われない人だと思っていたので、どこに行っても沢山のお客様に愛されるでしょうと。

まず、一つ思っていたのは…

「僕の事は大嫌いだっただろうなという事」

当たり前です。尋常じゃないくらいきつい。

やってる事自体がきついし、求められる所も高い。

それでもリソースは考えていた方ですが、身体的な部分で言えばまさに痺れる仕事していたと思うんです。

僕の人が良かろうが悪かろうが、苦しめている第一人者です。

恨みしかないだろうなと。

そして彼女は他のサロンで働く様になり、髪を切ってもらいました。

特にシャンプーには衝撃を受けました。

うますぎて。

airのシャンプーはとんでもないレベルなんだなというのは改めて思った所です。

まぁ、そっからも数年経ち、連絡を取ることもなかったのですが、ふと電話をしてみました。

「なあ、一緒に仕事をしないか」

と。

自分は京都にいて、東京にも店舗があり、東京で活躍して欲しかったのです。

普通ダメだろなって思ったのですが、その言葉は割とすんなりで…

「やっぱ木村さんかなっておもって」

そんな感じの言葉が返ってきました。

意外性も驚きも、色んな感情が襲ってきました。

信用度で言えば言える部分もなく、最も苦しい時にずっといてくれた人です。

普通にどんな事よりも嬉しかったですね。

今までにそんな言葉と行動を投げてくれた人はいたのだろうか。

自分が仕事やってきて、沢山のデザイン、お客様、もちろん大切なものは沢山あったが、何よりも嬉しい感情が込み上げてきて、やってて良かったなと思いました。

今後の部分でどうなるかなんてわかりません。

難しい時代です。

でも、こうして「信頼できる人」をコツコツと積み上げて、とても心が救われるスタッフが増えていっています。

「Instagramとかできないんすよねえー」

といきなり京都きて合宿してるのも、らしいなと。

途中でだらっとなって何故か渡月橋に行かされる…

まぁ、そんなのも過去も含め懐かしい。

今後もちろんどうなるか?などはわからない。

すぐに辞めたいと言うかもしれない。

ただ、僕はこの時感じた感情を文章に残しておきたいと思った。

「まぁ、やっぱ木村さんかなーと思って」

なんて事ない事なんだろうとおもうが、近年感じたことのないくらい嬉しい言葉だったのだ。

ましてや最悪の時代を共に過ごした仲間である。

思い返せば、今はそうやって「木村さんと」というフレーズで仕事をしてくださってる方が何人もいる。

本当に思い出すだけで涙が出るくらい嬉しい。

こういう事例をもってして「美容師をやっていて良かった」とおもう。

今後も続く人生にそう人に思ってもらえる仕事を。

今後も心がけていきたいとおもっています。

Category : コラム