Naoto Kimura

2015.6.13

想像はしてたけど読んでも(著者以外は)誰も幸せにならない本【絶歌】

あの「神戸連続児童殺傷事件」元少年A氏が書いた本「絶歌」

目下賛否両論ありますし、買う買わない、出す出さないが争点となっている本。

買うことにより、著者に益があるかもしれないと思いながらも、その当時、僕自身もまだ未成年、あまりにもセンセーショナルな報道を見て未だ頭から離れず、「元少年A」とも年が近しい事から彼自体が何を考えているのか?いたのか?

そして時が経ち、社会復帰を遂げた彼がどういう心境で生き、そして過ごしているのか知りたくて、批判がある事は重々承知、そして自分的にも腰は重かったが購入。

読み物としては読みやすく、割と短時間で読めた。と、いうか噛み砕く必要もないかな。と…

頭への情報の入れ方をコントロールしないと感情が出やすい内容かも?と、自己防衛もあるかもしれない。

結論からいうと当たり前だけど「読んでも誰も幸せにならない」ただ一人、著者を除いては。

そんな感じの感想。

買っといて言うのは筋違いかもだし、基本ネガティヴな書評を書く必要もないのかと思うのですが、ここに関しては「残しておきたい」という気持ちが働いたので記している。

今一度言うけど…

著者以外は本当に誰も幸せにならない本

これが一番の感想でした。

読んでない方も多いと思いますので中身には触れませんが、文章はとてもキレイに書かれていて(当たり前かもですが、ライターも入っているでしょうし…)表現やむしろ知性の高ささえ伺わせるし、フィクションであれば面白く読める小説なのかもしれない。

「まぁ、全然笑えません」

整理された言葉を望んでいなかった。

期待する事が的外れなのかもですが、キレイに整理された文章は何も響きませんでした。

事件当時の描写は過激な文言もありますし、あまり抵抗値高くない方は気持ち悪さを覚えるかもしれません。

個人的にはもっと「生の声」を期待していました。

ライティングされた文章よりももっと生の。

出版物としては成り立たない事は分かっているのですが、どうせなら「全文手書き掲載」くらいの雰囲気を期待していました。

キレイに書いてしまった事によりポエム化し、嫌悪感を抱く部分があった事は否めません。

「書く事が自己救済」これは…

あとがきまで読むと結局何がしたかったのか?という全容が見えてくるのですが、そこで崩れ去る感じが否めず、ちょっと辛いです。

実際に起こった事ですし、贖罪を重ねても消える事なく、買った僕に言う権利はないかもですが正直、出版社は自主回収しても全然不思議ではないかな。と…

何よりもご遺族が抗議文を出されている現状っていうのは…

【神戸連続児童殺傷事件 遺族の抗議文全文】

貴社は、平成9年発生の神戸連続児童殺傷事件の加害男性から手記を入手して、6月10日発売の「絶歌」という題名の書物を出版しています。

 上記の手記出版行為は、本事件の遺族に重大な二次被害を与えるものであり、私たちは、以下のとおり、強く抗議を行うとともに、速やかに同誌を回収するよう申し入れます。

 犯罪被害によって近親者を奪われた遺族の悲嘆が甚大であることは言うまでもありません。

 そして、遺族は、犯罪そのものによる直接的被害に加え、その後の周囲からの心ない対応や、過剰な報道により、その名誉や生活の平穏が害され、深い孤立感に苛(さいな)まされるなどの二次被害を被ることも少なくありません。

 本事件においては、直接的被害の重大性は言うまでもないところであり、それに加え、事件後のセンセーショナルな報道等による二次被害も重篤なものでありました。

 遺族は、本事件により筆舌に尽くしがたい被害を被り、事件後約18年を経て、徐々に平穏な生活を取り戻しつつあるところでした。

 また、私たちは、毎年加害男性から手紙をもらっており、今年の5月の手紙では、これまでとは違い、ページ数も大幅に増え、事件の経緯も記載されていました。

 私たちは、加害男性が何故淳を殺したのか、事件の真相を知りたいと思っておりましたので、今年の手紙を受け取り、これ以上はもういいのではないかと考え、少しは重しが取れる感じがしておりました。

 ところが、貴社が本誌を出版することを突然に報道で知らされ、唖(あ)然としました。

 これまでの、加害男性の謝罪の手紙は何であったのか?

 今にして思えば、心からの謝罪であったとは到底思えなくなりました。

 18年も経って、今更、事件の経緯、特に淳への冒涜(ぼうとく)的行為等を公表する必要があったとは思われません。

 むしろ、加害男性は自己を正当化しているように思われます。

 貴社の出版行為によって、本事件が改めて社会の耳目を引くこととなり、また、淳への残忍な行為等が広く社会に知られることとなりました。

 もとより、遺族は、最愛の子が殺害された際の状況について、18年を経過した後に改めて広く公表されることなど望んでいないことはいうまでもありません。

 私たちは、多大な衝撃を受けており、いたたまれない気持ちです。もういいのではないかという思いが完全に踏みにじられました。 このように、遺族の受けた人格権侵害及び精神的苦痛は甚だしく、改めて重篤な二次被害を被る結果となっております。

 貴社は、新聞報道によると、「批判はあるだろうが」「反発やおしかりも覚悟している」などと開き直った発言をしているとのことです。

 このように、貴社は、遺族の二次被害について検討した形跡は全くなく、むしろ、二次被害もやむを得ないと考えているようで、極めて配慮を欠き、悪質なものであります。

 一般に、出版・表現の自由は国民の知る権利に資する点に価値があるとされております。

 そして、貴社は新聞報道によると、「彼の心に何があったのか社会は知るべきだと思った」「事実を伝え、問題提起する意味はある」などと発言して、本件出版が少年事件を一般的に考察するうえで意義があり、国民の知る権利に資するかの如く主張しておられます。

 しかし、本事件は、我が国において発生した少年事件のなかでも極めて特異で残虐性の高い事案であり、その事件のいきさつ等を公開することによって、少年事件を一般的に考察するうえで益するところがあるとは考えがたいところであります。

 また、一般的に言えば、加害者側がその事件について、手記等を出版する場合には、被害者側に配慮すべきであり、被害者の承諾を得るべきであると考えております。

 従って、本件出版行為は、出版・表現の自由や国民の知る権利を理由として正当化しうる余地がありません。 もとより、出版・表現の自由は無制約のものではありません。他者の権利・利益を侵害することは許容されません。

 貴社による本件出版行為は、公益的観点からの必要性も認められないにもかかわらず敢えて加害者の手記を公表し、遺族の人格権を侵害し、重篤な二次被害を与えているものと言わざるを得ません。

 従って、私たちは、貴社に対し、上記出版行為について強く抗議を行うとともに、速やかに本誌を回収するよう申し入れるものです。

(引用…http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150613-00000008-kobenext-soci

遺族の許可もなく、現金な話ですが収益の行方も明らかでないこの本。

買っている僕が言う事ではないという事は重々承知の上で記しておこうと思いました。

販売リンクも貼りませんし、特に読んだ方がいいとも思いません。

しつこい様ですが…

「この本を読んでも誰も幸せにならない」

諸々、考えるのにはあくまでですが「きっかけ」になったのは間違いなく、今後、後追いでこういった手記は出さないという風潮の方がよいのでは?と感じた次第です。

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