Naoto Kimura

2015.6.21

【父の日】に思う

父の日にこんな事を言うのもなんなんですが、基本的に父親が嫌いでした。

厳密に言うと今も苦手です。

父は典型的な昭和オヤジタイプで、かつては亭主関白バリバリ。母に手をあげる事もしばしば。何か言えば怒り、声を荒げ、幼少期ながら母が苦悩していたのを見ては子供なりに怒りを持っていた。

母の日には母に電話をかけ、見舞うのを慣習としているが、父の日に父に電話やメールなどをした事がない。

基本的には何かにつけて小言が多い。
やる事なす事、何かしらの苦言が入ってくる。
「認められてる」と感じた事は1度もない。

話せば話すほど辛くなるし、分かり合える事はないだろうと思う。

なので電話などもしないし、メールがきてもほぼ返信しない。

こうやって文章を書くと、ストレートに読んでしまい文章の読んでほしい所は読まず、恐らくただ怒るのみになるのかもしれないし、そういう性分だと思っている。

ちなみに常にブログは見ている様だ。

こういうネガティヴキーワードばかり挙げると全くもってよくなかったのか?なんて言われるとそうでもない。

恐らくオヤジがそういうタイプでなかったら、東京でここまで粘って美容師やる事も出来なかっただろう。

途中で挫けたり、もう転職していたり、それこそまさに放蕩息子をしていたかもしれない。

「いつまで経っても、いくらやっても認められない」

僕のモチベーションはそこで保たれていた様な気がする。

「褒める、認める」という事だけが子育ての秘訣ではないのかもしれない。

いつまで経っても気にかけ、小言を言ってくるのは親ならではなんだろうと思うし、伝えるのが苦手なだけで愛なんだろうと思う。

そして僕は今現在幸せに暮らせている。

そういったものが絡み合い、モチベーションを保てていたからこそ妻とも出会えた。

こういう日に思う事は年々変わってくる。

今では…

「オヤジ、健康保ててるかなぁ?」

そんなオヤジの身体を気遣うキーワードが頭に流れてくる。

「俺はおかしいのか?」

と思うとそうではなく、こういうのが親子と言うんだろう。と初めて気付く。

そして、僕も「父」になれそうな日が近づいている。

恵まれていれば来年の今日、この日は僕の日にもなる。

そうしてまた一つ気付きがあるんだろう。

来年の「父の日」には一本電話できる自分になりたい。

なので今年はブログに記すのみで留めておこうと思う。

「サンキュー。オヤジ。感謝してるよ」

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