2016.6.19
一歩進めた気がした【父の日】
父親が嫌いでした。
(昨年の父の日のエントリー)
というか、厳密に言うと今も苦手でして。
昨年のこのエントリーを書いている頃はまだ息子も生まれておらず、イマイチ「父親」というものにピンときていない状態。
んでもこれから父親になるという最中で、この一年で心境の変化もありました。
そうして息子が誕生した
僕はあまり小さい時の記憶がない。
美容師をやっていた両親は当然、土日には全力で仕事をしていたわけで、実際来てくれた事もあったでろう、かすかな記憶はあれどもレギュラーで参観日などには来てくれたわけでもなかった様に思っている。(もしや覚えてないだけかもだが…)
よくある様な父子でキャッチボール的な記憶もあまりなく、近所に住んでいた従兄弟達と、長きに渡って過ごしていた祖母の記憶の方がずっと強く、また、母親の背中に関しては鮮烈に記憶に残っている。
唯一父親との関わりで鮮明な記憶は「釣り」非常に楽しかった思い出がある。
その他は何かにつけてゲームやものをねだったくらいの記憶と、幼少期から印象があまり良くなく、それでいて大人になってからもうるさかったが故にどんどん疎遠に。
自分が東京に出てきて、よくない生活を過ごし生活苦になった時には電話し、都合よく接してしまったが故に、父から僕に対しての信用はなく、今に至っても話せば小言しか言われず必然的に距離は離れていった。
そんな感じ。
愛情に関しては感じていたものの、受け入れる許容量もなく、また父自体も過去を振り返ると僕に対しての背徳感を感じている事もある様だ。
そんな家族。
だがお互いに歳もとった。
自分も結婚し、子を育てる立場になり、また父も老いている事が顕著に表れている。
父にしても僕にしても歳を経る毎に諸々考え方もマイルドに、また思う事も変わってきている様に思う。
冒頭に戻るが、そんな心境の中今年を迎えた。
今年こそは電話の一本でも。
と思っていたが、ちょうど妻がこのタイミングで僕の実家に息子を引き合わせに行くのだと聞いた。
「そっか…人生で初めてプレゼントでもしてみようか」
そんな言葉を妻に投げたら妻は猛烈に喜んだ。
妻は父寄りな感性である。
というか、ただ単純に仲良くしてもらいたいだけなのだろうが…
そう考えたら僕は父親に何かをしたという記憶が1ミリもない。
誕生日はおろか、父の日、還暦…
母親にする事はあっても父には1度もそういう事をした事がなかったのだ。
と、いうか家庭的な部分であまりそういった慣習がない家庭だったので本人達もあまり気にした事はないだろうとも思っている。
その辺に関しては妹はマメだ。
まぁ、とにかく一歩を踏んでみようと…
と、いう事で家族で買い物に。
色々考えたが財布にした。
気持ちは値段じゃないと思いつつも、もう年齢的にもそれなりのモノを渡したいというのはプライドでもある。
家族にしかわからないプライドなんですけどね。
見つめる息子。
おじいちゃんに渡してくれい。息子よ。
そうして妻と息子に気持ちは託した。
どうやら届けてくれたらしい。
父からもお礼のLINEが届いた。
息子を抱く父と笑顔を見せる母を見て、そっけないLINEをしてしまったのだが、これでもかなり進めた方だと自負している。
LINEがきてもほぼ返す事はないからだ。
僕はきっとこれからもなかなか素直に接したり、返信したりする事はないのだろうと思う。
が、しかし、一年。また一年過ごす毎に…
そして、自分も父親として考える事があったりする度に理解できる事もあるのだろうと思う。
人はいつか死を迎える。
その時までにはもう少し距離の縮められる自分ではいたいと思っている。
息子という存在ができてやっと「父親」というもののスタートを踏んだばかりの僕はこれが精一杯だ。
もちろん僕もなんだが、父がいつか棺桶に入る時にはハサミは確実に添えられるだろうが、また新たに刻む一年、一年を過ごす事で共に添えられる何かがプレゼントできるといいな。と思う。
ちなみに…
本当はプレゼントには「パネライの時計」を考えていた。
それくらいドシっとしたデザインの方が父に合うと思っていたからだ。
数十万くらいだよなー。と思っていて見に行ったら3桁だったのでやめた。
僕はまだまだだ。
まぁ、いつかそういったのも普通にササッとプレゼントできるくらいな自分に成長していきたいと思う。
僕は息子がくれた、指でスタンプしてくれたメッセージが1番嬉しい。
多分、ずっと身近にしまっておくであろう贈り物。
何でも気持ちから。
昨年よりは一歩前に進めたのではないか?と思う今日の父の日。
こうしてブログに記す事もまた「気持ち」の1つとして刻んでおきたい。
世の中のお父さんお疲れ様。
happy father’s day
Category : その他