Naoto Kimura

2017.3.22

もしやこの行動は”相手の時間を奪っているだけなのかもしれない”という思考

とても興味深い記事が。

まずはご一読を。

概ね同感です。

特に電話、お礼ご飯のくだりは自分自身もよく語っている事例。

電話が1番一方的に相手の時間を奪いますからねぇ。

その辺の認識の差異に悩まれておられる方も多いのではないでしょうか?

お礼にご飯。ってのも美容師あるあるな感じがしてしまうのですが、その辺に関しても全力でいい事と思わず、ちょっと頭の片隅に「もしやこれはありがた迷惑なのでは…」みたいなワードも入れ込んでおいても損はない気がします。

特に先輩と飯というか、今面倒見ている子らはかなり年も違い、僕と飯食ってても正直つまんないだろうな。って自覚しています。

なので、「ここは喋りたい」っていう時以外に、飯を奢るって形で労いたい時は「これで友達とご飯食べに行ってきなよ」で奢ってあげる事もあります。

リフレッシュ目的であるならば変に精神的負担をかけるよりも1番身軽に美味しく、楽しい時間を過ごしてもらえる方が翌日に活きると思うからです。

もちろん同席して語らう大事さも忘れていないのでそういう事ももちろんやりますが、頭の中で「もしやこの人の時間を奪っているだけなのかもしれない」という思考を持っておくだけでも損はないと思うのです。

まだ、一般的には「これは失礼」という理論が交錯して、これはないなぁ。と思う項目があるかもですが、自然とそういうのが根付く時代は近いのではないだろうか?と感じています。

まずは「もしやこの行為は相手の時間を奪っているだけなのかもしれない」

そういうキーワードを頭に入れておくだけでも時代適応に役にたつのではないか?

そんな風に思っています。

Category : コラム