Naoto Kimura

2016.8.18

僕はコンテンツを作ることが如何に難しいかめちゃくちゃ知っている。そして評価されるまでにすべき事はどんな事かも

あえてこういう事を書いてみます。

僕は基本的にあまり自分の領域とかには興味がなく、自分のプラットフォームは色んな事に対して使っています。

それが他サロンであれ、身内であれ、社会であれ…

そういったものを引用したり、自分の中で「これは」と判断したものは積極的に使ってゆく。

僕はこういう人なのです。

最近、スタッフがやる気を出して毎日の様にpostしているものを引用したり、積極的に応援したりしています。

それは、僕というプラットフォームを経て「入り口」というものを確保する事によりモチベーションを保ったり、効果というものを体験してもらいたいからです。

これに関しては本当に僕自身にメリットなどなく、ただ、僕も「それ自体をコンテンツ」として判断し、キュレートしています。

例えば動画などをキュレーションした場合、こういう言葉をいただく事もあります。

こういうのは別に伏せておけばいいと思いますが、僕はあえて出そうと思います。

僕自身もずっとこうしてきたから

写真の方の文章に悪意は全く感じませんが、そういう事も言われたりした時に、Twitterなどでは無双に切り返したりする僕も「申し訳ないです」と書くのは…

自分でもわかっているからです。

コンテンツの質とクオリティ

よく、記事をだす時とか、僕自身1つメディアの編集長もやっているので問われる事がある項目の1つに…

「質とかクオリティ」

というものがあります。

飽和したウェブコンテンツの中で、そして自分自身も毎日何かしら提供し続けてきたという歴史の中で、言われている事は十二分にわかります。

コンテンツを出すという事は1発1発に精度を持たせるものであり、またそこに対して努力したり磨いていく必要も感じています。

が、しかしそれを生業としている業種ではない場合、どうするのか?というと…

「とにかく続けて体感して磨いていく」

しかありません。

ダメなコンテンツなら出すな。

そういうのも間違いではありませんが、出さなければ評価を実感する事すらできません。

「よくなかったという評価を知る必要性」

美容のコンテンツにおいても、良し悪しというものはクオリティや頻度で評価をされる部分が大きいかと思います。

評価をされてきた人は基本的には…

頻度に優れています。

その頻度の中で評価(声)を受け、そこに向き合う事でコンテンツが磨かれていきます。

僕は本当にそういう事を知っている。

ずっとこういう事を続けてきたからこそ、今は「あ、知ってる」という評価をいただく事もある。

その中では全然ダメなものも、自分のテンションが高くないものもある。

僕はそういう自分のテンションや生きてる家庭の中での一喜一憂ですらコンテンツにしてきました。

これは重いものではなく、僕には向いていたわけです。

何とも思わない。

んでも全ての人に才能があるわけでも、無限の発想力があるわけでもない。

こんな時代だからこそ、自分が得意とする部分は…

「如何にコンテンツ力が乏しくとも必ずやり続ける」

という事が重要になると思っている。

本当に最初のハードルもましてや、続ける事を想像すると並大抵ではない。

が、しかし人は学ぶ。

続けているだけでも…

そして評価を受けるだけでも変わってくる。

ぼくはそういう声を受けて変えてきた。

変わらない、続かないという人は評価を得るステージの前に脱落する。

評価を受けられるまでは続けなくてはならないのだ。

それが批判であったとしても…

それを聞く事でわかる。

別に普段の生活で頑張ればいいだけの話だが、今は美容師にとってもいささかそういうわけにはいかない時代にきている様に思う。

なので僕が手伝う人物がいたりするのは可能性を感じているわけであり、そこに期待する。

今後の業界的なステージで言えば、こういった応援形式で結果に結び付けられるところは強いと思う。

だって…

本質的に育てられるのだから。

まぁ、こういった事も評価を受けてからこその発想になる。

なんでも評価を受ける事は大事なのだ。

自分と距離が遠い人であればあるほどよい。

近しい人は「いいね」としか言わないのだから。

ステージを広げる事に対して手伝える胆力を持った上の人間でいたい。

そんな風に思っています。

Category : コラム