2015.10.30
ちょいちょい【フォトコン審査員】を拝命してて絶対に選ばないものの特徴。
大きなものでいうと…
ミルボン フォトレボリューション2015 WEBサイト
とかってフォトコンテストや、来年度もちょこちょこご依頼いただく…
「審査員」
というもの。
アサインされる事においてはまことに恐縮で、厳粛に受け止めてますし、見る部分においては真剣に見させて頂いていますと同時に自分自身の勉強にも。
そんな「審査員」という立場を頂く事があるという事で…
また別のフォトコンなども近い事から…
「作品を見てください」
っていうメッセージをスタッフからよくもらうんですよ。
1つ言ってもおきますが、まずそういった「姿勢」を評価しますし、素晴らしい取り組み、そして自分の成長にも大きく繋がるでしょう。
是非続けていただきたい。
なので、そういった部分も含めて敢えて述べておこうと思います。
言っとくけど、明らかに自分の手が入っていないセットテクニック重視のものは選ばないよ?
まず、作品をバーっとみていると腑に落ちない所が見えてきます。
「自分らしさを全く感じない…」
そう「らしさ」というもの。
いかにスタイリングテクニックが優れていて、イメージの完成度(写真とかプロップとか背景)が高くてもあまり「メッセージ性」とか「ズシーン!」とくる衝撃、「ドキっ!」とする感覚。みたいなものを全く感じないのです。
(ある子にアドバイスしたもの。)
ただ単純に呼んでヘアメイクだけしたものは明らかにわかるし、まず選ばない。
近年ではサロンフォトシューティングがスタンダード化してきたり、ナチュラル&カジュアルなヘアスタイルが隆昌を極めているわけで、そういったテーマやタイトルのフォトコンも多い。
んでも、それだからといって「普段通りのもの」でいいのか?と思うし、ましてや…
「自分の作品は自分でカットしてデザインし、カラーも含めてプロデュースしなければ気が済まない」くらいの思考で臨まないと…
写真からメッセージが伝わってこない
んですよね。
すぐわかってしまいます。
「あー。これはー。」
みたいな。
何千もの写真を見ても目を引く事はなく、ただ単に「可愛いー。」と思っても…
「おおっ!」と思う事はない。
そういうのって自分の思考回路外のものだからこそ感じ得るものだと思うんですよね。
誰かがカットしたものをスタイリングして作品として出してても、「らしさ」が全く見えてこないし、仕上がりも当然何か見る人に対してのオーラを放ってくれる様に思えないんですよね。
そういうのをいつもフォトコンなどで見ていると感じる事。
モデルさんが切らせてくれないとかならまずコミニケーションを見直すべき、情熱を感じてもらえるくらいの熱量も持つべき。
ただ単に力負けせず、自分がこういうの作りたいんだ。貴方だからこそこういうイメージで作りたいんだ!という意思を示せば切らせてくれる人、モデルになってくれる人も全然いるんじゃないかなぁ?と思うんですよね。
「いつもの延長線感覚」だと間違っても選ばれる事はないだろう。
やはり、選ばれている人はそういった部分からきっちり闘志燃やしてるのを作品から感じる。
そこから初めてナチュラルだろうが何だろうが「個性」が生まれて「素晴らしい!僕にはできない」という視点から選びたくなってしまう。
そういうもんだと思ってしまうんですよね。
「一審査員視点」から思うこと。
一枚の写真からメッセージを解き放て!
そんな感じを楽しみにしています。
てゆーかアドバイスがなんでそこからなの?w 世の中ちょっとおかしくないか?w
— 木村直人【air/LOVEST】 (@air_kimura) October 29, 2015
(今更言わせんなよ…)
Category : コラム