Naoto Kimura

2016.3.6

【苦手なので…】と言ってしまったら正直バカにされて終わるだけの時代がくるかもしれない。

美容室、美容師業界的な話になるのですが…

ネット系の事で動いていたりして、個人的には一生懸命取り組んでいても、イマイチ、周りがピンときていない事があり、その中でよく言われるのですが…

そういうの”苦手でして…”

お、おう…んで?

最近になるとそういうリアクションになってしまいます。

苦手で済む時代だと思っている貴方は大丈夫か?

と…

正直な所、そう思ってしまいます。

と、いうのは数年前は全然思わなかったんですよね。

思っているよりも時代の進みが全然はえーぞ。

僕が予想していたより全然時が早く進んでいる様に思っています。

どーするよ。これ。

苦手ですまんやろ。。。

進めている人、サロン、組織は「チームプレー」「個人力」共に高め始め、求心力を得ている。

「求心力を得る方法論」がもう変わってしまっているのだ。

・いいヘアスタイルを作ればいい

そう思ってしまうが、その「いい」ってのはどこで判断してもらうんだろう?

もう同じ事してちゃダメなんですよね。

嗅覚の鈍化

僕自身は割と無作為だった所はあるんですが、相性もあったと思っていて、元々「テクノロジーが好きだった」

だから全く違和感なくネットも受け入れられたし、使うこともできた。

んでも、僕は何が1番特殊だったか?と問われると…

「嗅覚」

みたいな所は敏感だった部分はあるのかもしれない。

・誰もやらないからやる。

・誰も続かないから続ける。

必ず何かある気がする

そういったもの。

それを続けていった結果…

「依存される」

そういった事もあって、別に全くそれは求めていない。

「頼るなよ。テメー作れよ。もっと苦しんで自分で悟れよ。」

そんな事も思いながら今に至りますし、それも別に悪い気持ちではなかったが、今はもどかしさに変わっている自分がいます。

果たしてみんなの嗅覚は大丈夫か…? と…

自己発信をすでに行っている若者から支持得られます?

高校生、美容学生がすでに自発的に発信などを行っていて、その内容云々は置いておいて、すでにそういうキャリアを積んでいるのと共に…

「フォロワー」なども着実に増やしていて、いざ僕らの世界に入ってきて…

自分より少ないフォロワーの人の言うこと聞けるか?

「ネットなんて。フォロワーとかさー。」

それは完全に大人の論理なだけであって、現代は違うだろうし…

「なんで〇〇さんはあんなフォロワー少ないんだろうねぇw 正しいんならSNSでも認められてるよね。」

という様な事を言われてもおかしくない。

しかも、日常で暇してたり、不毛な忙しさぶりを披露していると尚、冷静な目線で見られる様な気がしていて、そういう時代も遠くはねーなー。

とぼんやり思ったりしています。

結局、いつの時代もそういう事に「依存」している。

”有名サロンと言っても、一部突出した人がいるにすぎない”

”そこでなぜ有名であれたか?”

”そしてそれはどの様に作られたか?”

そういう事に向き合ってみると、ただ単にベクトルが変わっただけにすぎず、そしていつの時代もそういう部分に依存している所がある様に思う。

非常識が常識に変わる瞬間。

有名になったり、いわゆる「上手い」と言われる方程式も時代と共に変わる。

・海外で修行をしてきた。→雑誌に取り上げられる。→フォロワーが多い。

端的にいうとこういう変遷を辿ってきている様に思う。

だからこそ「過去を正当化するには、今の事もできなくてはならない」

そんな風に思うわけです。

僕もどちらかというともう「旧世代に差し掛かっている」と思っていて、別に今の高校生で美容師を目指す様な人は僕の事なんて誰も知らない。

知っているのは「SNSで活躍している人」だ。

憧れのベクトルもまるで違う。

正解の論理もまるで違う。

「ではサロンに入ってから修正していけばいいではないか!」

それもわかるが…

「できる?」

よっぽどのカリスマ性がないと無理ですよ。

先立つものもなければ。

あれっ?

これってほんの10年数年前とかにそうじゃなかったでしたっけ?

憧れた理由。

頑張ってきた理由。

その方向性も変わりつつある今。

本当に正しいなら、現代のものまで使いこなし、なおかつ求心力を得られるレベルに昇華する必要がある。

そこではじめて「上手い。尊敬できる」そんな風に思う事も、上の人間として統率を取れる事もある。

そんな風に思ったりしませんか。

「苦手で済ませられるかどうか?」

今一度、考えてもよいところにきているのかもしれませんね。

僕自身はあまりフォロワーがどうかとかは思いませんが、確実に感覚は違うと思っています。

結局、判断される材料にもなりかねません。

やらないなら全てやらない方が得策な事も、本質的に同じタイプの人を固めて作り上げるのも1つの手段かもしれません。

が、中途半端になってしまうのはマイナス効果になってしまうかもしれませんね。

人選も間違ってしまうと…

「〇〇さんって、上手い(はず)のになんでお客さんこないのかな?」

「フォロワーいないしね。」

そんな感じになりません様に。

Category : コラム