Naoto Kimura

2015.10.18

【勉強させてもらってますっ!】っていうより自分が作り出した方がいいかもよ?って話

最近よく声をかけられる事に…

「勉強させてもらってます!」

とか…

「勉強できる環境で〜〜」

と、言われたりするんだけど、果たしてどうなのかな?って思っている今日です。

かつてはもちろん、今日に至ってはそれプラスα。もしくは完全オリジナル。

かつてはそういった先輩方の仕事を見て学ぶ事で自分のworkにも活かす。というマインドが働いていた。

もちろん今もそれは脈々と繋がる文化の1つだと思っている。

「見て」そして変わるか?変わらないなら作った方がいい。

見るという事で頭にインプットをするという行為はとても大事なんですが、果たして「アクション」に繋がり、そして自分を求めて来店なさるお客様に提供されているのだろうか?

そんな疑問を持つことがある。

「見て学ばなきゃ。インプットしなきゃ」

その「きゃ」は混在していないだろうか?

そして結果何も変わらない。

そういう事にはなっていないだろうか。

ならば「見る」事をしないで何か物事を起こすでも全然いいと思う。

必ずしも「インプット」せねばならない。なんていう事はない思っています。

「アウトプット」し続けて形にできる人もいて、それをサロン内でカルチャーにまでしてしまえばそれが正解となる。

そして、誰かが考えた事を自分に落とし込んで当てはまるって事もなかなかない。

そういう時には開き直って「インプット」をやめて、「誰も思いつかない事をしよう。」

別に全然それでもいいと思っています。

美容師免許もってんだからさ〜。くらいな感じです。

インプットするならそれを世襲するわけではなく”嚙み砕きまくり新たな創造をしていく事”

見て学んだものをそのままやればいいと思っていませんか?

「見たもの」というのは「きっかけや選択肢」にしかすぎず、「頭の引き出しにカテゴリーが増えただけ」という事であり、必ずしもそれが正解というわけではありません。

そう。きっかけと選択肢を見て学んでいる

当たり前ですが、見ている人のお客様、貴方のお客様。

同じなわけがありませんし、指名されるには理由があると思います。

技術だけでもなく、個人の魅力までも全て加味された結果だという事です。

インプットするのは技術だけではないし、それだけではもったいない。

細かな所から大胆な所まで様々な要素があり、それが全部含まって「勉強になる人物像」が生まれる。

それはそのまま「真似しようと思ってもできない領域。」

「ならばオリジナリティを」

そんな発想になってもおかしくなくはないでしょうか?

淡々と見て学んでいるだけなら、全部そのアクションから忘れ、「新しく創造するマインド」を前面に出すと光明が見える人も多いかもしれませんよ。

Category : コラム