Naoto Kimura

2017.1.17

1日でも長く生きてほしい

昨日は「夫婦メディア」なるものに取材していただいた。

もちろん内容に関しては記事を読んでいただきたいが、その中で妻がいった印象深いフレーズが心に残った。

多分記事に抵触しないだろうと思うのでという前提だが…

1日でも長く生きてほしい

彼女はそう答えていた。

1日でも長く生きて、そして共に過ごしてほしいと。

そう考えると僕は人に「求められた事があるのだろうか?」という事を考えたりする。

職場や友人関係の中でそういったフレーズを聞く事があるわけだが、もちろんありがたい。

けど、ズゴーン!と刺さる様な衝撃を受ける事があるだろうか。

僕は基本的に短命であると勝手に思っていて、そうであるが故に勝手に長く生きたりするものだと思っていたりする自由論者である。

自由論者であるが故にストレスもなく、割と重力を感じなくて済むことも、またそれが発想を広げてくれる事もある。

したたかに物事を考え、それを履行し、気付かぬうちに疲弊したりしている。

身近にいる人が「早く死ぬのではないか」

そう判定するにはきっと理由もあるのだろう。

もちろん延命し、息子も送りたければ、その子まで見たいという願望は常に持つものである。

けども生活スタイルを変えるつもりはない。

もどかしいけどそんなもんなんだろう。

そう頭で考えるが、またそのフレーズがフラッシュバックする。

「1日でも長く生きてほしい」

僕はそれを表現する手段を知らない。

だからこそ、彼女と出会ったのではないか?

そんな風に思っている。

結婚が「尊い」と呼べるものならば…

そういった事を気付かせてくれるきっかけになり得るのかもしれない。

Category : コラム