Naoto Kimura

2021.5.30

世の中めちゃくちゃ凄い人が多いように感じるが、たった一つ歩みを進めるのが大変だし、意外とそれが心地いい

こんにちは。

またしばらく空いてしまいましたね。

先日血液検査しまして…

うおおおおお…まじかよ…

肝臓の値が限りなく透明に近いブルーになっています。

うおおお…

僕は特に隠す事をしないタイプなので、一部クラブハウスやら限定的コミュニティの方々は周知な事ですが、かなりの期間で鬱というか、アップダウンが激しい状態の期間を過ごし、暴飲暴食、また期間が過ぎれば全く食べないなどで17kg痩せたりなど、2年くらいはかなり苦しみました。

それでもやはりプロなので、お客さんに出すわけにも、管理職でもあって、コロナ禍などの対応等も含めスタッフにも出すわけにもいかず、人前に出る時にはドーピングして必死に過ごしていました。

一先ず責任果たすまでは…

最後の方はもうそれが合言葉みたいになっていて、なんかどうでもいい使命感みたいなものに囚われていた部分もあったと思いますし、逆に迷惑かけていた所もまた然りで、なんか…頑張らなくていいのに頑張っちゃったりとか、おかしな所も…というか、おかしな所があるからそうなったんでしょうが、なんだかよくわからない事もありましたね。

朝起きたてでいきなり吐いたり、仕事終わると緊張感切れたかの様にせん妄状態になってたり、ひどい時はオムツしてなきゃならない時とか、オンオフの差が激しく、仕事をしてる部分だけ見てる人からしたら俄かに信じがたいと思う様な感じもありましたし、仕事の場面では「はい!スタート!」ってなったらバリバリに喋り倒したり、はい!プレゼン!ほりゃほりゃ!撮影だ!うんたら!と外であった人は近しい人でもほぼ誰もわからないくらいには普通にサクサクやってたと思いますが、ドアをカチャリと閉めたらいきなり「ゲーッ!」とか、ドラマかよ的な状況を妻はずっと受け止めて支えてくれていたり、子供もそういう模様を見て悲しい顔をしていたりと、それも更に申し訳なさが加速して状況を悪くしていったかもしれません。

全て自分が悪い。

自己肯定が一つもできなくなって、生きるのすら辛いと思うことも増えていました。

昨年末で一旦現場離れて休養してて、それでも結構仕事はしてたのですが、1.2月は入院して、3.4月くらいにはギブアップ級に症状悪化して、磔の刑ばりにベットに縛り付けて寝込んでいました。

断酒、断薬とにかく全ての部分を断ち切り、何週間か経つと自然と起き上がり、ナチュラルに身体を動かそうという気持ちになりました。

何故だろう。全然わからないのですが、それくらいまで極めてソリッドな感覚になっていたはずなのですが、自然と柔らかい気持ちになり、起き上がる事が出来る様に。

不思議ですよね。

外とか動くのとかとことん嫌いな自分ですが、歩こうという気持ちになるとか。

ここ2年くらいは子供とのコミニュケーションもほぼ取れておらず、妻に任せきりだった事もあり、子供たちと散歩する事から始めました。

お恥ずかしながら、次男に関しては生まれてからほとんど父親らしい事もしてやれず、肩車とかしたのも3歳になってから初めてで、それまで発達が遅れて言葉を覚えるのも遅くて心配していたものでしたが、一緒に朝から散歩する様になり、少しずつ丁寧に社会活動を教え、短いながらも共に過ごす時間を増やす事で一気に成長を見せ、逆に話しかけられすぎて困るほどです。

こういう状況で振り返ってみて一つ思ったのは…

「安心感がこうした」

というのもあって、仕事場でも管理職とはいえまだ後ろには先輩方もいて、家庭では妻もいる。

僕には全然頼れる人がいたんですよね。

そう思ってもなんとなく、走り続ける事が通常になってしまっていて、意思に反してブレーキをかけられないとかって部分もあってどんどん身体にきてしまったんだろうなと。

あと、究極の甘えだと思いますね。身体にきてて、まぁ、もういなくなっても死んでも大丈夫だろうとか、投げやりな考え方になっていたと思います。

単にやってたつもりが仕事の上司と妻に甘えていただけだったという…

なんとも残念な話でしかない。

「なぜ改善の兆しが見えたのか」

そういう背景も踏まえて、改善が見られた理由は…

「ヘアサロンをプロデュースする」というプロジェクトがあって、この案件がコロナなどもあり伸びていたのですが、年明けにいきなり進み出した事もかなり大きかったと思います。

進み出したらいきなり加速しだして、飛び起こされて、それでも浦島太郎状態だった僕の代わりはは秘書がほぼ変わって進めてくれ、半ば強制的に余計な事を考える事が出来なくなり、後もない状態になるから…

「とにかく戻ってきて欲しい。健康になりたい」

と思うように。

「どうでもいい」からそういう感覚に。

色んな依存から断ち切ってからは本当に改善が早かったです。

まだまだ波があるのでなんとも言えないですが、一先ず文章書けるくらいには落ち着いていますね。ありがたや。

まぁ、本当にコロナもあって病気以外の所で苦しんだ方も多かったのではないだろうか?と心痛めていますが、そういう意味でもこういったありのままのエピソードが一つの踏み台になったりしたらいいなぁなんて思いながら書いています。

発信なども控えながら、ずっと人の背中押す作業を数年やっていて、寝てる間には情報はかなりの量、見続けてきました。

どういう手合いか、世界的危機的状況の時に目立ったのは猛烈な発信を繰り返す人が増え、あたかもものすごい事をやっている様に見える記述を目にする回数が増えた事。

なんか読んでいたら羨望というよりは劣等感に苛まれた時期もあったりして…

「ああ…世の中ホントすごい人多いんだなぁ」

と思いながら眺めていた。

と、同時に自覚ないながらもずっと同じように担いでもらっていた自分もフラッシュバックしてきていて…

「きっとそういう風に思われていたんだろうなぁ。」

と思ったり。

また、同じような気持ちに苛まれている美容師さんの相談を受ける事も多く…

「そのままでいいんですよ」

と声をかけながら、そのまま自分に当て込んでいた。

何かしなくてはいけないんじゃないのか?という気持ちにさせられ、自分の立場も含めて「やらなきゃ…」と思うのだけども、結局自分て何がしたかったのか?と思うと…

「なんでもない様な事が幸せだったと思うゆ〜」

くらいでしかなかったんですよねw

本当にしょぼいものです。


(綺麗なカラー棚を作るのに命賭けてる模様)

なぜかカリスマみたいに言われて、それが目的だったわけではなく、楽しく、新しい事を作り出したり、チャレンジする事が本当に生きがいだったのに、いつしかそういうのも取り組めなくなるくらいには弱くて。

んでもまた一個一個、小さいながらにクリエイティブに。

自分のペースで楽しみながらプロダクトを作り、飛び抜けた事をやっていなくても小さく拳握ってうなづけている自分がいる。

なんかそんな小さな事が意外と心地よかったりして、ふわっと自分を取り戻せそうになっています。

「美容師界に多大なる貢献をしましたね」

「間違いなく美容師がここまでネットを駆使出来る様になったのは木村さんの影響が大きい」

嬉しかった言葉はいつしか自分を苦しめる言葉になっていて、結局…

「何者になりたかったのか?」

「いや、別に何者にもなりたくないよ。楽しくものづくりをしたいだけ」

という答え合わせをしていただけだった。

僕はホントそんな程度の人間ですが、こういう事をきちんと書き、読んだ人がこのコロナ禍の中でも「ほんの少しだけ肩の力を緩める」きっかけになってくれたら嬉しく思ったりする。

まぁ、大体は美容師さんにですね。

割とみんな無理しすぎにも見えるし、結構しんどい人多いんじゃないかなぁ?と思う。

正直、僕は凄い人でもなんでもないし、みんなこんなもんなんだろうなとも思う。

僕が最近1番大変で1番達成感を感じたのは、お店のカラー棚にドリルで穴開けて、ネジが繋がった時でした。

田中亜彌《原宿・表参道美容師✂タナカアミ》 on Twitter: “木村さん@air_kimura が電動ドリル持ってるのレアすぎる、、🐥棚制作は男性陣がやってくれてます👼✨@michihiro1011 pic.twitter.com/Mg5nMCNIQk / Twitter”

木村さん@air_kimura が電動ドリル持ってるのレアすぎる、、🐥棚制作は男性陣がやってくれてます👼✨@michihiro1011 pic.twitter.com/Mg5nMCNIQk

あなたが最近達成感を感じた事はなんでしたか?

小さな一つを積み上げ、少し前に進める楽しさをもう一度噛み締めに行きたいなと感じている今日この頃です。

(6/1 にプロデュースしているヘアサロンがオープンします。ちなみに僕はサロン出てません。悪しからず…汗 店名の由来は2人が勝手に語ってくれるだろうと思ってます)

(代表の大野と田中。素晴らしき技術者なのでair共々よろしくお願いします。)

(今日、こんな事を書こうと思ったきっかけの記事。かなり共感しました。今後はこうなるだろうなって自分も思ってます)

ではまた。

次はあまり空かないで何か書ける様に自己管理したいですねぇ。ポワポワ。

Category : コラム